橿原サッシセンター株式会社

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COMPANY会社案内

企業理念PHILOSOPHY

橿原サッシセンターと結びついている全ての人々の幸福を追求し、
古都奈良にふさわしい心やすらぐ豊かな住宅環境造りを希求します。

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社長メッセージMESSAGE

脱サッシ屋宣言。我々は窓マイスターである。 「社員の姿は鏡に映る会社の姿である」
これは、創業者から受け継がれている会社の基本的な考え方であり、社員一人一人の行動や態度が社風をつくり、そのことが、会社の評価に繋がっていくという考え方です。
会社の主役である社員が健康的で、モチベーション高く、仕事に取り組めるよう努めることが会社の役目であると私は考えています。
このような状態をつくるためには、会社の雰囲気がアットホームであり、社員同士のコミュニケーションがしっかりと取れていることが必要となります。
定年後も引き続き仕事をしてもらっている古参社員もおり、長く働ける環境であることは当社の自慢の一つです。
近年では若手社員も増えてきており、創業43年を迎えた当社も創業100年を目指して、次のステージに進んでいこうとしています。
若手に先輩が厳しいことを指摘する事もありますが、これは社員のプロ意識の現れです。若手も、日々業務と向き合いながら成長していっています。
大事なことは「会社が社員と寄り添い、本人の人生の目標と会社の目標が同じ方向を向いている」ことであり、このような状態こそが会社が目標としているところであります。
今、我々が目指しているのは、住宅産業を超循環型へと変化させることであります。
今までのスクラップ&ビルドの時代は終わり、長期にわたり高品質な住宅を維持できる様、開口部のスペシャリストとして過去20世紀型のビジネスモデルで大量に納めてきた商品を、我々が診断し、より良い状態で使い続けていただくことが、我々の社会に対しての大きな責任ではないかと考えています。
昔から大阪は食い倒れ、京都は着倒れ、神戸は履き倒れ、我々の奈良は建て倒れと言う表現があります。奈良県の県民性は古くから良い建物を建て、それを大切に使い良いものを残していく文化(DNA)があります。
我々は開口部のスペシャリストであり続け、堺の鉄砲町は包丁産業であるように、建て倒れの奈良の老舗業者であるからこそできるこの技術をさらに磨き、我々の仕事を奈良の伝統産業へ導きたいと考えています。伝統産業はその立地的要素から生まれます。
我々自体の利のみを追求するのではなく、我々が中心をなり業界自体を伝統の担い手へと引き上げていくこと、そして環境を守り、持続的発展が可能な社会に貢献していくことが、我々が背負っている社会的使命だと考えています。 代表取締役  上田 章

代表取締役 上田 章

会社概要COMPANY OUTLINE

社名橿原サッシセンター株式会社
住所本社 : 〒634-0831 奈良県橿原市曽我町927-4
工場 : 〒634-0843 奈良県橿原市北妙法寺町143-2
TEL 0744-24-5511
FAX 0744-24-5513
資本金2,000万円
代表者代表取締役 上田 章
創業昭和30年4月1日
設立昭和45年4月17日
営業品目アルミサッシ、スチールサッシ、ステンレスサッシ、水回り商品、エクステリア工事、シャッター工事、ガラス工事、制振装置販売
一般建設業許可ガラス工事業・建具工事業
奈良県知事許可(般‐29)第006624号
役員数4名
従業員数14名

-アクセスマップ

会社沿革HISTORY

1973年(昭和48年)8月奈良県橿原市曽我町に初代社長.尾田裕彦が個人経営にて尾田硝子を創業。
1977年(昭和52年)5月個人経営を株式会社に組織変更
名称:橿原ホクセイアルミサッシセンター株式会社
資本金1,000万円
1983年(昭和58年)6月社名を橿原サッシセンター株式会社に変更。
1990年(平成2年)8月橿原市北妙法寺町に本社工場を新築(530平方メートル)。
1993年(平成5年)7月サッシ営業部門を分離独立し奈良立山株式会社を設立。
資本金1,000万円。
2002年(平成14年)2月業務拡大を図り、奈良立山株式会社と合併し、新たに橿原サッシセンター株式会社を設立。
資本金2,000万円。
2006年(平成18年)9月尾田武弘が代表取締役に就任。
2013年(平成25年)9月制振事業部立ち上げ
2016年(平成28年)5月上田章が代表取締役に就任。現在に至る。

主要取扱メーカーDISTRIBUTORS

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